2019-05-19
ラスグルを見るのをずっと避けていたイタイFANKSの1人だったわけですが、35周年の2019年4月21日に映画館でラスグルが上映されることになったのを知った時のツイート。
もしかして
私はこの35周年のために
今までラスグルを見ずに
生きてきたのかもしれない…
— Kid Ayrack🇰🇿🇱🇻 (@Kid_Ayrack) February 15, 2019
そして、ついに呪縛が解かれたライブビューイング当日。
ラスグルそのものを見ていなくても、テレビで映像がチラ出しされたり、雑誌などの紙媒体で目にすることがあったラスグルの衣装は白スーツか黒スーツのイメージだったので最初に青いピタピタのスーツでバーン!と出てきた時に「青!?」であることにビックリしたと同時に超細身のウツたんがどちゃくそカッコ良くて
ヽ(ヽ゚ロ゚)ヒイィィィ!!なんじゃこらぁぁぁ!!!!!
顔カッコイイし、めっちゃ高速で足パタパタさせてるし、髪めっちゃ長いし、顔カッコイイし、めっちゃ細いし、めっちゃ足長いし、顔カッコイイ。あまりにカッコ良くて冒頭の金曜日のライオンからホロホロと泣いてしまいました←まだイントロだった
3人組の衣装って「どこかがちょっとずつ違う+色違い」とか「共通の色を違うアイテムで使う」だったりするじゃないですか。あの感じが好き。
後半のお色直し後は両日ともダブルのジャケットとスカーフにガードされていましたが、もしやあのジャケットの下はnamahada!?!?!?と気付いた時から襟元しか見てなかったよね。
19日は後半がジャケットだけ赤になって、下は黒のままだった。なんでだろ。赤は良く似合う子なので全身赤でも問題なかったはずなのに。
あの衣装がどれもよく似合っていたので、余計にあの水玉の長いスカーフは本当に必要だったのかを考えてしまった。ファッションセンスの素養は持ち合わせてないけれど、もう少し緩く巻いても、もう少し短くても、水玉でなくてもよかったのではないかと思う。あの、「何か長いものを首に巻く」スタイルはソロになってからも、最近でもディナーショーだとよく首に長いものを巻いてるのを見るけど、もしかしたらあのラスグルのイメージがスタイリストさんたちの脳裏に強烈に焼き付いているのではないだろうか…。首に巻く長い何かは本当に必要なのだろうか。特にラスグルみたいに激しく動くライブだとすごく邪魔そうだったし暑そうだった。首や鎖骨が見えたっていいんじゃないかな。私は鎖骨を見たい。
亘「フタタタタフタタタタ」
べ「フタタタタ…なんだっけ?」
亘「フタタタタフタタタタ。フタタタタタタタタでもいいよ。任せる」
ここ、何かおかしくて何回でも見れそう。ドラムの譜面ってどうなってんの。
2秒前までは存在してなかったのに、何もなかった中空からビブーティーが出現するように突如現れたTAK MATSUMOTO氏。そして突如いなくなった。一体、何の不都合があって今まで封印されていたのだろう…ちなみに、大阪会場の立ち上がって踊ってもいい「Come on Let’s Danceエリア」ではまっちゃんが大写しになる度に大歓声だった。
御三人様は露出が少ないのに、サポートギタリストたちは揃ってノースリだったね。わー!脇が見えちゃう!ってアセる。御三人様の脇が見えたら死人が出ちゃうかもしれないからかな。
20数年間、ラスグルを遠ざけるあまり、セトリを見ることもしてなかったから凄まじいセトリに息をするのを忘れてしまい、途中何度かグハッ!!とむせた。あれを会場で見てた人たちはちゃんと息をしていたのでしょうか…。2日間でセトリ違うし、しかもゲワイは18と19でアレンジ違ったよね…
あんなに盛り上がる系の曲が続いても、あんなに動き回っても、MCではハァハァしてても、歌ってる時に息が上がったり声が上ずったりしない。あんなに細いのに。ライブはウツキネかジュリーしか行かなくなってしまったからサンプルが少なすぎて、あれが普通なのかわかんない。ウツもジュリーも歌声はブレないし、木根さんは走り回らないし。
エンジニアの伊東さんが「ウツは一度決めると歌い方を変えない」と言っていて、それは大いに同意だけどseven days warの最後だけは珍しくオリジナルと少し違う。「…ためにぃぃぃぃぃ…」と余韻を残すようになったのは再結成後だと思っていたけど、ラスグルですでにこうなっていたとは。いつからなんだろ?
25年が経ってるとはいえ、Fu—–‼︎って観客を煽りながら投げチューする人と「アルバイトハモンドのももちシーサイドです」と自己紹介する人が同一人物とは思えない。ステージ上にしか存在しないと思っていた2.5次元が、最近は少し地上に降りてきた感じがする。歌酔曲が始まってからかな。病気をしてからかな。
歓声もクラップも♪ラララも、どこにも届かないのにZepp Baysideは盛り上がってた。映画館で観るより客席の歓声の再現度がすごくて、特にエンディングの悲鳴の渦は、映像を見ているというより東京ドームの客席に放り込まれたみたいな感覚で。今になってあのシーンを見ながら涙を流しても何の意味もないのに…また泣いてしまった。
終わった後にバックヤードをバスまで歩いていくとこも初めて見て。拍子抜けしちゃうよね。客席に残された人たちはあんなに絶望してたのに、この人たちはいつもと変わらずワチャワチャと楽しそうだし、清々しささえ漂わせて。「終わっちゃったね」みたいなしんみりした感じは微塵もなかったことが軽くショックだった。あー…この人たちのことまだ何もわかってないわ、と。
4/21と5/17で長く放置していた忘れ物を取りに戻れた。観ない理由なんてもうないのに、なぜかずっと観ることができないでいた。25年経って、こういう機会があって思い切って観ることができたので感謝。あの当時の自分にはこの現実を受け止めることはできなかったと思う。今でもギリギリ。やっと、やっと受け止めることができた気がする。CDを開封して、DVDを買わなきゃね。