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INCLUSIVE~もう誰も置き去りにしない~ 9/28神戸 トークレポ

2024-09-28
神戸 煉瓦倉庫 K-wave

ウツがU_WAVEで木根さんがK-waveか…。
U_WAVE;Mixの初日と重なっていたこの日は、選択を迫られた結果、木根さんにしたよ!
木根さんはよく来てくれてる会場だけれど、少し遠いのでワタシ的には初めての会場でハーバーランドの一角にあるレンガ造りのライブハウス。パーティーやイベントでも使われるようなオシャレな内装で、照明がキレイな会場。席は自由だったので、ピアノに置いてある譜面が見えるくらいの下手側の席に。譜面といっても楽譜ではなくて、歌詞とコードらしきメモが書かれているだけで譜面じゃないけど。

TMのツアー後は客層が変わりがちで、この日もいつもの木根ソロとは客層が少し違う気がした。YONMARU Tシャツを着てる人がチラホラいらっしゃって、その流れかちょっと男性が多めだったかな。ウツソロ初日だったからウツ担さんたちの気配が少なくて余計にそう感じたのかも。あと、木根ソロでは見かけないタイプの人がいたかな。金髪の人とか。

トークレポ

1曲目が終わって
「Naoto Kine PIANO & GUITAR CONCERT 2024 INCLUSIVE〜もう誰も置き去りにしない〜」にみんなようこそ。いろいろ全国を回らせてもらっているんですが、ここは大好きなお店で。ここは何回もやらせてもらってるけど、今日は出てきた時の空気が違ってた。いつもと違う感じ。
さっき、外の空気を吸いに裏から外に出たら、今日来てくれてる方々がいらして。すっごいTMの匂いがしたの。TMのコンサートの時は外をウロウロしたりしないけど、TMの時はあんな感じなのかな。

もう半年くらい前に「INCLUSIVE〜もう誰も置き去りにしない〜」というタイトルを付けて。堅い、真面目なタイトルではありますけど、そういう意味合いの曲を選んだり、そういう曲を書こうかなって思いがあって。タイトルを発表して、チケットが売り出されると全会場SOLD OUTになっちゃいまして。東京は倍率が4倍とか5倍とか。「もっと大きいところでやって!」ってお叱りを受けてる。「もうすでに置き去りにされてます」とか。こんなタイトル付けるんじゃなかった。たくさんの人が置き去りにされているらしい。おかしいのよ。毎年やってるし、毎年来てくれてる人もいる。そういう人たちもちょっと「ん?」って思ってるかもしれない。「あれ?チケット取れないな」って。TM NETWORKの40周年で全国を回らせてもらったおかげもあるんでしょうかね。そんなことないよね?今日初めて僕のコンサートに来た人いる?あ、そんなにいないんだ。札幌はね、半分くらいが初めての人だった。えーっ…ヤバッ…どうしようと思った。今日は初めての人が少ないから、いつもの感じでいいか。TMしか見てないとしたら、TMはわりと大きなところでやらせてもらってるから遠くに見えてたサングラスのおじさんが今日はすごく近くにいることになる。あれ、僕じゃないから。僕は歌詞を覚えない人だから、歌詞は見てるのね。そうすると、サングラスでは見にくい。本当は取りたい。今回も取ろうかと思ったんだけど、聞くところによるTMの影響で初めて来てくれる人が多くなるんじゃないかって空気になってきたからサングラスをすることにした。そうじゃないと、あれ?木根さんはどこ?ってなるでしょ。

TMが来年の4/21までは40周年ということで、いつになくこれまでを振り返って今日はTMの曲も含めて古い曲を織り交ぜながらやらせてもらってます。1曲目はMY BEST FRIENDという曲で、作ったのは20才くらいの時かな。SPEEDWAYの頃に作った曲だけどSPEEDWAYではやらなかった。今とは全然違う歌詞で作ってあったんだけど、中2の時にレコードを借りたことがきっかけで音楽をやるようになった頃の曲を作ろうと思って。2番に「初恋の子の名前をあいつは覚えてる」っていう歌詞があるんですが、あいつは覚えてるんです。平気でラジオで実名を言うんです。やめろっていうのに。

パノラマジックの話
いろいろあって3人でTMをやることになって、まだTM NETWORKという名前がついてなかった頃。小室さんが「木根と僕で1曲ずつ持ち寄って、いい方でコンテストに出よう」ってなって。多磨霊園にあったスタジオに集まって、まずてっちゃんが先に「じゃ、僕の曲やるね」って弾いて。

♪~(聴いたことがないイントロをピアノを弾く)

さすがにこのイントロは聞いたことないでしょ。弾けないから口で言うけど、この後はみんなも知ってる♪チャカチャーンチャ、チャカチャーンチャ、チャカチャーンチャのイントロで。歌詞はついなかったか、別のが付いてたか、ラララだったか覚えてない。すごく変わった曲だったから「いいじゃん、いいじゃん、なんか変わってて。ポップだし」って思った。「じゃ次は木根」って。僕は詞も書いて持って行った。後でプロデューサーの人から「木根さん、詞はプロの人に直してもらいましょう」って言われたのに、出来上がったらそんなに変わってなかった。その時に作った曲がパノラマジック。

自分でも思うんだけど、まだ24才くらいで、TMっていうグループが影も形も存在していなくて、どんな音楽をやるのかも誰もわからない状態で作った曲がパノラマジックだったの、クオリティ高くない?てっちゃんも僕も当時Electric Light Orchestra、ELOっていうグループが好きで。バイオリンが入っているんだけどシンセサイザーやギターも入ってるグループが流行ってて。すごくカッコよかった。1974とかパノラマジックとかTelephone LineはELOの影響。そういう風なのでやっていこうっていうのは何となくあったけど。もし、あの時に作って持って行った曲調がフォークだったら、きっとTMに入れてもらえなかった。「木根はいらない」って言われてたかも。「いい曲じゃない」って言ってくれて。今思えば、あのタイミングであの曲ができたっていうのはよかったよね。その時はどの曲でコンテストに出るか決まってなかったけど、てっちゃんが「コンテストの曲は僕の曲でいい?」って言ってきた。そこで俺が「いや、俺の曲やってくれよ」とか「いやいや、じゃんけんで決めようよ」って尖がっていたら違ってたかもしれないけど、あの時から俺は「どうぞどうぞ」だった。

きっと離れられない二人の話
この曲も18か19で作った曲。
始まる前に会場で流してもらってた曲は僕のバラードの師匠、エリック・カルメン。エリック・カルメンが好きすぎて、ああいう曲を作りたいなと思ってできた曲がこの曲。似てるでしょ?

僕にとって曲を作るっていうのは常にオーディションだった。バンドやってた時もそうだし、もちろんTMになってからもそうだけど、曲を作ってきたらからこれをやろうっていうことじゃなくて、聞いてもらって「いい曲だね」って思ってもらわないといけない。いいものを作らないといけない。あのタイミングでパノラマジックができて、アルバムに入れる曲として1/2の助走ができて、つながっていくんだよね、信用が。そこから美里ちゃんの「Eyes」につながって、他の人にも曲を作るようになった。

PIANO & GUITAR CONCERTのコンセプト
(下手側のピアノから上手側のギター用のイスに移動)
今回のライブのイメージは、前半でピアノをやって後半にギター。その真ん中で少し話そうと思ってた。なのに、初日ですでに最初のピアノに座ってる時から話しちゃうんだよね。理想は、最初にスッと出てきて何も言わないで1曲目のピアノで始めて、曲が終わっても小声で「どうもありがとう」だけ言って次の曲にいく。このギターの席に移ってからようやく話し始めるイメージだった。

宇都宮さんはスゴイよね。よくあの年齢でああいう曲を歌えるよね。俺は無理だ。コーラスで精一杯。年を取ってくるとフォークですらちゃんと歌うのが難しくなってくるから、弾き語りをしたくなっちゃう。弾き語りって要は弾きながら語るわけじゃない?

♪今日はみなさん、ようこそおいでくださいました~僕は新幹線で来ました~
土曜日ということもあって街はても混んでいて~タクシーも渋滞してたよ~

弾き語りってこういうことじゃないかと。これをやろうかなと。自分の歌は歌わないの。

(客席:えー)

たぶん、お客さん帰り始めると思う。

♪ちょっと待って~帰らないで~もう少し聞いて行ってよ~

そういうライブを1回だけやってみたい。でも、今はちょっとやってるだけだから楽しいかもしれないけど、これ2時間はどう?

瞬間芸
昔から、瞬間的に何かをやることには「天才だね」って言われる。初めて触る楽器も全然わからないのに弾けるような雰囲気で一瞬だけ弾けたりとか、電化製品も説明書を読まずに使い始めちゃう。練習をしたりとか、調べて準備をするのが苦手。たぶんせっかちだから。カップラーメンも3分待てないからだいたい1分半くらいで食べ始めちゃう。寝かしておくとおいしい果物をもらっても待てなくてすぐ食べちゃう。ギターを弾きたいって思った時も、どうやって弾くのか調べるのが面倒臭かった。ハーモニカをあんな風にぶら下げて吹くんだ、あれをやってみたいってとりあえず吹いてみたり。てっちゃんからは「木根は天才だけど、そこから成長しない」って言われるし、ウツからは「高校生の時から全然変わってない」って言われる。高校の時はすごかったのよ。ギターもベースもキーボードもドラムも全部できたし。初めて触る楽器でも最初の音はそれらしく出せるんだけど1分も持たない。「すごいじゃん」ってなっても「あれ?この人、本当は弾けない?」ってすぐわかる。ただ、バイオリンは全然ダメだった。小室さんはよく俺に「サックス吹いてよ」って言うだけど、ある時聞いてみた。「なんでサックスなの?」って。そしたら「ハーモニカできるし、口が器用じゃん」って。口に器用とかあるのかな。ハーモニカなんて吹いて吸うだけなのに。

ゴリラの話
1枚目のアルバムは頑張って作ったし、EPIC RECORD期待の新人としてお金もかけてもらったのにオリコン200位にも入らなかった。で、2枚目ってなった時に1枚目頑張りすぎたから「次どうしよう」ってなって。僕もてっちゃんも前に作ってあった曲から引っ張り出してきたり。「愛をそのままに」はSPEEDWAYでやってた曲だけど音源にはなってなかったから、それを持ってきたり。それでも2枚目も売れなかった。3枚目ってなった時にプロデューサーから「もっと思い切ったことをやらないとダメだ!」って言われて「タイトルは『ゴリラ』にする」って。「ジャケットの写真は全員オールバックや」。関西の人だったから関西弁で。「うわぁ…俺、おでこ広いからオールバック嫌だなぁ…」。だから俺、おでこ見せたくなくてこうなってるでしょ。

初めて聞く話でしょ?初めて言うもん。

出稼ぎしてた話
いつだったか、てっちゃんに「木根、今TMが動いてないから出稼ぎしてる、みたいな話をどこかでした?」って聞かれて。「こと〜築地寿司物語〜」っていう舞台の音楽をやらせてもらった時に公演の前後にあるトークショーに呼ばれて、「木根さん最近のTMの活動は?」って聞かれて「今は動いていないのでこうして出稼ぎをしてます」って言っちゃったのが小室さんの耳に入れちゃったみたいで。「出稼ぎ(笑)」って受け止めてもらったらよかったんだけど、その話を聞いた人は小室さんに「TMが動いていないから木根さんは出稼ぎをしないといけないみたいで大変みたい」って深刻そうに言ったらしくて。

ELECTROの話
7月に小室さんのELECTROでも兵庫に来ました。
あれが7月の終わりくらいだったでしょ。7月に入ってすぐぐらいだから結構ギリギリに連絡が来た。「今、ゲストボーカルを呼んでこういうのをやってるんだけど、TMが終わった流れでウツと木根にも出てもらいたい。一緒じゃなくて別々に」って。「え?俺がボーカル?全然ELECTROじゃないけど大丈夫?」
スケジュールを確認したら、兵庫は大丈夫だったんだけど福岡がNHKの生放送のラジオが入ってて。1時に終わるし、そこから飛行機に乗ってギリギリ。リハなしでぶっつけ本番になるけど?って言ったら「うん、それでいいよ」って。てっちゃんの電話はそれで切ったんだけど、入れ替わりでスタッフから電話がかかってきて「いやいやいや、リハーサルはやってもらわないとダメなんで何とかなりませんか?」って。「じゃダメモトでNHKに言ってみるけど、ダメだったらごめんね」
NHKのディレクターに「こういう事情で小室さんが…」って理由を説明したら、「あー…そうですか…小室さんが…ちょっと待っててください!」。僕の翌週に出る予定だったゲストの人が僕と出る日を交換してくれることになって。ありがたいよね。小室さんはこの話を知らないけど。

(うわ…このラジオ聞き逃してたわ…)
(スティールパン奏者の二ノ宮千紘さん、ありがとうございました)

指揮者の方に「木根さん、好きにやってくれて大丈夫ですから。ここのオーケストラのメンバーはロックバンドもやってるようなロック色が強い人ばかりだから、クラシックじゃなくてもついていけるので」って言われて、それで神田川を歌いながら出て行ったの。お客さんはTMのファンの人も多かったから温かく迎えてくれてたけど、終わって帰る時にオーケストラの方々が「握手してください。おもしろかったです!」ってみんな列になって来てくれて。それを見てたスタッフが「オーケストラの人たち、小室さんには握手を求めたことないですよ」って。音楽的なことじゃなくて「おもしろかったです!」だったんだけどな。

 ツアータイトルのテーマ 
「Life」というアルバムに入ってる曲で、この頃はいじめをテーマにした曲だったり、家族のことを歌ったりしてた時期で、この曲は父子家庭がテーマ。お父さんと娘の話。「i」はi-modeの「i」。INCLUSIVEというタイトルを付けたからには、テーマに合った曲を歌おうと思っていて歌詞に「SOSのサイン」という言葉が入っていたので選びました。

(歌詞はU_WAVEの田中花乃)

世界情勢だったりとか、朝に出かけて行った子供が事故や事件に巻き込まれて帰ってくることがなかったとか、いじめのこともそうだし、見えるところや見えないところでいろんなことが起こっている。僕が子供の頃は近所におせっかいを焼いてくれる大人の人がいるような時代だったけど、今はそういうのもなくなってきていて僕には何ができるんだろう?って。自分ができることをやるしかない。
ずっと引っかかってる光景があって。
まだ立川に住んでた頃、電車賃を出すのがギリギリくらいお金がない時に新宿に行かないといけない用事があった帰り道。新宿の駅で小学生の女の子に声をかけられた。「家に帰るお金がないから貸してください」。その時は「ごめん、全然お金持ってないんだ」ってその場を離れてしまったけど、交番に連れて行ってあげるとか何かできることがあったんじゃないかって思いがずっとあって。

「ノックは3回」をきっかけにいじめに関する講演に呼んでいただくことがあり、話をしてたら、一番前に座っていた女の子が泣いていて。その時は「ノックは3回」が出てから10年くらい経ってる頃で、小学生だった当時に「この曲に救われたんです」って話してくれて。僕が作った曲がそんな風に誰かに伝わっているのかと。今回のアルバムジャケットは知り合いのイラストレーターの方にお願いをして、僕のそういう想いについては特に何も伝えてなかったんだけど、「木根さんの想いや曲がタンポポのように風に乗っていろんなところに飛んでいくイメージでタンポポにしました」って言われて、何も言ってないのに思っていたことと重なってビックリした。

「永遠のスピード」は詞が大江千里さん。千ちゃんが25年前くらいに書いてくれた詞だけど、今も「テレビは不幸なニュースばかり」やってるから歌おうと思って選びました。

※翌日の大阪レポはこちら


セットリスト

M1 MY BEST FRIEND(ピアノ)
M2 パノラマジック(ピアノ)
M3 きっと離れられない二人(ピアノ)
M4 1/2の助走(ピアノ)
M5 UNKNOWN TOWN(ギター)
M6 SAD EMOTION(ギター)
M7 それでもいいと思ってた(ギター)
M8 二人でいれば(ギター)
M9 i(ピアノ)
M10 ノックは3回(ピアノ)
M11 永遠のスピード(ピアノ)
M12 空につづくロマンティック(ピアノ)
EC1 INCLUSIVE(ピアノ)

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