「ウエスト・サイド・ストーリー」観ました

新作の公開に合わせて1961年の旧作がテレビ放送されていたので、旧作と合わせて観ました。

1957年にミュージカルの初演が上演され、1961年に映画化。
この年に公開された日本映画で興行収入が多かったのは「用心棒」や「椿三十郎」。時代劇が映画コンテンツとして人気があって、まだモノクロ映画もあった時代。歌ったり踊ったり、社会問題を映し出すような映画が同時期に公開されて、当時の日本人はどう受け止めたのだろうか。

一方で、旧作も新作も楽曲の素晴らしさとダンスのカッコ良さは今見ても色褪せてないから、時代背景や人種間の対立構造を抜きにしてもストーリーが追える作品なので、難しいことを考えないで歌って踊るヤングなボーイズを堪能するだけでも意義がある映画。

あらすじ

舞台は1950年代のニューヨーク。
土地開発が進むマンハッタンの一角では、ヨーロッパ系移民の悪ガキグループ「ジェッツ」とプエルトリコ系移民の「シャークス」との間で対立が続いていた。そんな中で行われたダンスパーティー。ジェッツの元リーダーで、悪さからは足を洗ってカタギの仕事に就いていたトニーと、シャークスのリーダーの妹・マリアが恋に落ちてしまう。「愛があればいいじゃない」と燃え上がる2人の恋愛はグループの争いに巻き込まれて、思わぬ結末を迎える。

今の時代にも通じる「分断」

ユダヤ系が多かったヨーロッパ系のジェッツと、カトリックが多いプエルトリコ系の「シャークス」。民族の違いだけでなく、宗教の違いも相容れない大きな要素。そして経済格差。豊かな生活を求めてアメリカに移ってきたものの、誰もが成功して裕福になれたわけではない。ヨーロッパ系の親世代は大都会で夢にやぶれて底辺の生活を強いられた結果、その子供たちも貧困から抜け出せずに社会の掃き溜めとなった集まりからジェッツが生まれた。

プエルトリコ系の移民はアメリカに渡ったばかりの若い世代が多く、若さと希望と夢があったが、英語を話せないハンデや差別によって給料の高い仕事に就くことは難しかった。シャークスのリーダー・ベルナルドはボクサー、ベルナルドの恋人・アニータは家で裁縫、ベルナルドの妹・マリアは夜間に清掃の仕事をしている。

そして、「男」と「女」。グループの対立に女たちは口を挟むことも許されないし、特にプエルトリコ系は家父長的でマリアは外出も帰宅もベルナルドの言うとおりにしなくてはいけない。恋人も選べない。トニーと出会うまでは、ベルナルドの子分・チノを好きでもないのにあてがわれていた。

エンドクレジットの一番最初に表示されのは「FOR DAD」。
スピルバーグは自身もユダヤ系移民の子で、楽曲を手掛けたバーンスタインもソンドハイムもユダヤ系。移り住んだ世代が築いてくれた礎への敬意と献辞。

みどころ

何の脈略もなくいきなり踊り始める系なので、受け付けない人には受け付けないのかもしれないが、やはりみどころはダンス。群舞も素晴らしいし、何より旧作も新作もアニータのダンスは圧巻で目が離せない。旧作でアニータを演じたリタ・モレノが新作にも出演しているのも話題に。若者たちのたまり場(医薬品や食品を売るドラッグストアのようでもあり、カウンターもあるので飲食もできるようなお店)の店主として旧作と新作の架け橋になっており、ストーリー上ではヨーロッパ系のダンナと結婚した未亡人としてヨーロッパ系とプエルトリコ系の架け橋にもなっている。

映像も凝ってる。一体どうやって撮ってるんだろ???と思うようなアングルや構図やカメラワーク。これまでミュージカルを撮ったことがない監督なのに、ダンスパーティーの群舞は旧作のテイストを残しつつもめちゃめちゃカッコイイし、トニーとマリアが初めて会った瞬間に2人以外の人間がみんな背景と化すような演出は「あぁ…一目ぼれって映像的に説明するとこんな感じなのかもしれん」という説得力がある。

ミュージカル映画ってキャスティングが無理ゲーなのでは?

演技力があって、ルックスが良くて、スタイルが良くて、歌がうまくて、ダンスが踊れる。これだけの要素を求められる上に、それぞれの役柄のイメージに合った役者をキャスティングしないといけない。どれだけ無理ゲー!?と思う。新作のアニータはドンピシャだったが、トニーは歌はうまいけど、優男っぽくてギラギラしたところがなくチンピラグループのリーダーにはあまり見えない。マリアもかわいいし、歌うまいけど、この作品の主役なのに今一つインパクトに欠けるというか、違う映画で見かけても気が付かない自信ある。。。

リフも「リーダー気取りだけど圧倒的なNo.2感」があって役柄には合ってて、最近のお写真を見るとすごく雰囲気のある役者さんに見えるのに、1950年代のヘアスタイルがあまり似合ってなくて違和感があったのと、あまりミュージカル向きではない声質で歌い出した時にちょっと残念な感じがした。

RENTに受け継がれている世界観

ウエスト・サイド・ストーリーから対立をなくし、救いを与えることによって生まれたのがRENTなのではないかと思う。

舞台は同じニューヨーク。立ち退きを迫られる設定も同じ。ウエスト・サイド・ストーリーでは禁じられた恋として描かれている人種間の恋愛もRENTでは問題にもなっていない。ロジャーは白人で、ミミはヒスパニック。モーリーンは白人で、ジョアンヌはアフリカ系。そのあたりは日本人キャストだと表現しにくい。そして、ジョアンヌはハーバード大学を出た弁護士で、コリンズは大学教授。RENTが生まれた1990年代の時点で、有色人種はまともな仕事に就けないと嘆く時代は過去のものになっている(差別はなくなったわけではないが)。ウエスト・サイド・ストーリーでは対立の構図で踊ったマンボに対し、張り合うよりもお互いを知ることで溝が埋まったRENTのタンゴ。

劇中でエンジェルは死んでしまうが、最後の曲で袖から飛び出してキャストに合流してフィナーレを迎える。誰も失わないという救いがある。ミミも三途の川を渡りそうになるが、なんとか生き返った。「誰も死なせたくない」というジョナサンの想いを感じる。

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話の本筋はラブストーリーだけど、新作も旧作もそこはあまり共感できなかったかな。会って数分でまだ名前も知らないのに熱っぽく見つめあったり、1人で名前を呼び続けたり、ろくに話もしていないのに”I love you”って一体お前はこの娘の何を知ってるねん?と首をかしげる。しかも、それが双方同じタイミングで同じ熱量で魅かれ合っているあたりはファンタジーとして見るしかない。

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